建設会社を辞めたい。海外赴任、単身赴任もうんざり?
管理人のジョーです。今回は福島県にお住まいのコンさんの建設会社での体験談を紹介させていただきます。
50歳を節目にして実際に退職に踏み切りました。
自分の会社は一部上場企業でつい最近まで建設業種に含まれていた会社で結構有名な会社でした。
実際、自分も入社3年目から退職まで世界中のいろいろな現場、人種の方々と仕事をしてきており、所謂、現場叩き上げの人間でした。
海外現場では当初は日本人数人に現地スタッフという感じで結構のんびりと作業出来ました。
しかし、年を追うごとに日本人は3人だけ、その後2人だけ、40歳台からは日本人は自分たった1人だけで他の数十人から数百人は全て現地スタッフという現場を切り盛りしていました。
家族はタイ国に駐在した4年間のみで残るほぼ26年は全て単身赴任での身体的にも精神的にも大変きつい業務を続けてきました。
それでも、現場でのやりがい、達成感には無上の喜びが有り、家族への迷惑、子供の成長を共に出来なかった事は残念ですが、それよりも仕事が楽しくて仕方なかった時代が長く続きました。
しかし、自分が48歳の時に、大事件が起きました。
親会社を追い出されて自分の会社に転籍させられた上司に全てを台無しにされ、それまでの現場でのやりがい、達成感、日本に帰国した際の「ご苦労さん」の一言で頑張って来たサラリーマンに別れる決断をした次第です。
そんな上司が2人も自分の上司になってしまったのです。
彼らは、本社から子会社に出された事が多いに不満であり、エリートの自分が子会社に居る事、転籍させられた事に納得出来なかったのです。
ですので、現場で頑張っている自分達に我慢出来なく、成績を上げ、本社に貢献している自分達を使って本社に復讐しようと考えたみたいです。
ですので、やることが陰湿、陰険で、嘘の報告、虚偽の現場実態をでっち上げ、海外出張してきては、高級ホテル生活を満喫、お客様とは会議の度にいざこざを起こし、それも原因は自分に有ると本社に報告され、まったく真逆の事実が本社に積み上げられて行きました。
その結果、本社がだんだんと現場と自分を信用しなくなり、離れて行くのが肌で感じられました。
しかし、自分達は海外現場から離れられませんので、どうすることも出来ず、一時帰国で本社に戻っても「ご苦労さん」がだんだんと聞こえなくなってしまい、しまいには、夕方になっても誰からも飲みの誘いも来なくなり、疎外感が募って行きました。
退職の最後の決め手になったのは、本社の手のひら返し、梯子外しでした。
現地スタッフ達への昇給を例の上司と共に決め、現地スタッフへ昇給約束をした翌日、例の上司より本社経理に対し「現場が勝手に昇給を決めて困っている」と報告され、結局現地スタッフ全員への昇給が見送られ、その後、上司が現地に出張してきて、昇給を上司の口より現地スタッフへ約束された事でしょう。
この事件で退職を決意しました。
例の上司に恨みが無いか? 無いと言うと嘘になるけど、恨んでも仕方ないし、自分の脇の甘さを反省しています。
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