設計請負と設計者の派遣をやめたい
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管理人のジョーです。今回は神奈川県にお住まいの20代後半の男性、ユージさんの設計請負と設計者の派遣での体験談を紹介させていただきます。
私は短大を卒業後、地元にある設計請負と設計者の派遣事業を行っている会社に就職しました。
全社員合わせて150人程度の規模の会社でした。
その会社に就職した時期はちょうどリーマンショックが弾けた翌年のことです。
日本経済があらゆる面で冷え切っていた頃。就活生の内定取り消し等の話も多く聞かれた中で,そういったこともなく,無事に新社会人となれるのはラッキーだな~と思っていました。その後に待ち構える困難の数々も知らずに。
入社早々、いきなり「自己研鑽」を理由に定時より1時間早く出勤し、社内の掃除や雑巾がけを行うように命じられます。
新人研修の内容も絵本の朗読であったり、「平身低頭」という名の土下座の練習をしたり、延々と電話を取る練習をさせられたり.
それらの中身のない研修もそうですが、一番きつかったのは女専務の横暴の数々。
コピー機に用紙を補充し忘れていたというだけで1時間以上の説教、ようやくOJTが始まったのに、新人がたるんでいるからという理由で1日で終了、その他気に入らないことがあれば昼休みに新人を呼び罵詈雑言を浴びせかける。
理解が追いつかない中ではありましたが、だんだんとこの会社のおかしなことに気が付き始めます。
これだけ大暴れしまくる女専務の様子を見て見ぬふりする社長。
新人に挨拶されても目線すら合わせない先輩社員の方々。
リーマンショックの影響よりも更に根深そうな社内全体に蔓延る淀んだ空気。
壁に貼られた「気持ち」「情熱」の文字や社長が信奉する盛○塾塾長の稲○○夫氏の言葉の数々.
ハイ、いわゆる「ブラック企業」であります。
社長も女専務もとにかく気合でこの不況を乗り切るしかないと言い切り、
具体的にどんな仕事をしていくか、どこに活路を見出すかということは一切ありません。
とはいえ、この大不況のさなかです。すぐにやめたいとも言えず、ただ歯を食いしばって耐えるしかありませんでした。
幸いにして私は工業の学校を出ていたことから図面をある程度読むことが出来たため、
入社から半年程度で航空機部品製造メーカーへの派遣が決まりました。
最初の派遣先でしたが、仕事の内容は単純作業の連続だったことに加え、
そのメーカーは派遣社員に対する差別意識がやや濃い会社だったので、あまりいい思い出はありません。
ただ、仕事量が多いぶん給与面は悪くはなかったです。
この頃の手取りの額は残業代を含めず12万程度。これに残業代を含めればおよそ17万ほどでした。
ボーナスの額は寸志の3万程度止まりで、でるだけありがたいという状態でした。
その後、短いスパンで複数の会社に派遣に出されましたが、勤務していたおよそ6年間の中で、会社の本社にいた時間は丸1年にも満たない時間でした。
会社の中の淀んだ空気の中にいたくないという気持ちがそうさせたのだと思います。
最後に派遣に出された有名電機メーカーでは、かなり重要な仕事を任せていただき、またそのメーカーの社員さんからもとても可愛がっていただきいい思いをしたのですが、あるとき、派遣元会社にて派遣に出された社員含めて全員が集まる全社集会が開催された際に、次期の売上目標について、外部の来賓から「具体的にどのようにすればその売上を達成できるのか?」という質問に対し、社長の「達成できるのか?ではなく達成するのです。みんなで気持ちを合わせれば必ずクリアできます。」という解答に唖然としました。
私も年齢を重ねましたが、手取りの額は最初の頃と1万ほどしか変わらず、かつ派遣社員という不安定な立場。
転職を躊躇していた自分の背中を社長のこの言葉が押した格好になりました。
現在勤務する会社の最もありがたいことは「目標が具体的」であり、それをするには何をすればよいか?何を準備する必要があるか?がある程度予測できたり見えたりすることです。
「気持ち」や「情熱」や「気合」は確かに働くだけでなく、生きる上でも大事です。
しかし、それだけでは仕事も人生も成り立たないということを前の会社は(反面教師として)教えてくれました。