経済の上流と下流

値札の付けられた商品がある。仮にこれを「経済商品」と呼ぶことにする。自家用ではなく販売目的、営利目的で生産される商品である。

それで、この「経済商品」の製造過程であるが、基本的に上流、源流へさかのぼるほど、仕事は過酷になる。

分かりやすい例で自動車を挙げる。
自動車の基本的な素材は金属(鉄)ガラス、プラスチックであろうか。

鉄を採取するには、まず鉄鉱山から鉄鉱石を採取しなければならない。次に溶鉱炉で製鉄として加工される。その後、鋼板として自動車メーカーに出荷される。自動車メーカーの工場では各種、加工、部品付の後に製品として出荷される。

その後、自動車は販売店デイーラーによって営業される。

上記の場合、鉱山での労働が一番、過酷そうではないか。次が溶鉱炉であろうか。溶鉱炉での作業は夏でも暑そうである。危険が伴う作業であろう。

次にプラスチックを例にとる。プラスチックは石油から出来ている。なので最初のスタートは油田である。油田での作業も過酷な感じがする。タンカーでの運搬。次に精油所、次にプラスチック加工メーカーであろうか?

自動車に関して言えば、販売店の仕事が一番、危険性が少ない。スーツを着て、ネクタイを締めてクルマを売る仕事である。営業ノルマのストレスで鬱病になることはあるかもしれないが、間違っても仕事中に死ぬことはないであろう。しかし、上流の仕事では一歩間違うと死んでしまう可能性のある職場である。下流の仕事をしていて労災事故などは考えにくい。

この「経済商品」の流通過程においては上流の作業が一番、危険性が高く、下流の仕事のほうが安全性が高い。

そして、経済のエッセンスとも言うべきものが金融である。銀行業、証券業という「金融」というものは突き詰めていくと「数字という情報」「信用という虚」によって成立している。

紙の上にインクで数字を印刷したもの、あるいはクレジットカードのような情報だけで経済がまわっていくのである。

私に言わせれば、「尻尾が犬をふりまわしている」状態である。厄介なのが実態経済よりも金融経済の方が強いのが、今の世の中である。この娑婆は狂っている。

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