零細印刷会社のワンマン社長と会長
中小零細企業を辞めたい 同族経営, 熊本県, 零細企業, 40代
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同族経営の会社を辞めたい
管理人のジョーです。今回は熊本県にお住いのキクチさんの体験談です。
私は40代男性で、現在熊本県で勤務しています。
勤務先は印刷業で従業員規模は20人程の零細企業です。
仕事内容は名刺、会計伝票、結婚式の案内状、封筒、金券のナンバーリング、カラーチラシ類などを印刷しておりました。
給料は手取りで20万円くらい、ボーナスが40万円くらいで、年収が300万円ほどでした。
私はこの印刷会社では途中入社であり、勤続10年、印刷オペレータと管理職をしていました。
この会社の人間関係は最悪です。当時の会長が創業者で70代、その息子が社長で40代後半、その他専務や常務、工場長、事務所は身内ばかりで完全な同族経営です。
私の上司が工場長であり、会長の義理の弟です。 あとその他は私の部下ですが全くの赤の他人ばかりで、部下は10人くらいでした。
会社を辞めたきっかけは、一にも二にもこの創業者の会長が原因です。
とにかくわがままで自己中心的です。
どういうことかというと朝言ったことと、昼から言うことが全く真逆に変わるのです。
とにかく疲れる人で未だにあんな人とであったことがありません。
大正生まれの人だったのでわがままの度合いが今時の人と全く違うのです。
はっきり言えば給料は払ってくれるけど超がつくブラック企業です。
自分が気に入らない従業員は何人もいじめてやめさせています。
私なんか入社して3日目ぐらいに 前任者の課長がいじめられてやめさせられるのをみたのです。
最初何が起こったのか全くわかりませんでしたが、この前任者の課長がそれから会社に出てこなくなり、皆があの課長やめさせられたみたいよと、噂が出たのでクビになったことが分かったのです。
入社して3日目ぐらいで、このざまなのでこれから先はもっと荒れ狂いました。
とにかくこの会長は自分が機嫌が良い時は、本当 に心の底からニコニコして笑いが絶えない人ですが、自分が一つでも気に入らないことがあると徹底的に相手の気に入らない部分を上げつらい、その人がやめざるを得ない程いじめ抜き、追い詰めて、やめさせていくのです。
私はもともとこの会長からは気に入られていたのですが、あることがきっかけで徹底的に嫌われることになったのです。
その原因は私の先輩との関係にありました。
私のすぐ上の先輩にTさんという人がいてこの人が相当な変わり者で、とにかく普段はニコニコしている人でしたが、人の陰口をよく言う人でした。
昔でいうところの女の腐ったような人で、とにかく気が弱い人で、人前では絶対相手の悪口は言わないのですが、その人がいなくなるとまるで手のひらを返すように人の悪口を言うのです。
私も最初は気にはしなかったのですが、何度もそういうのを見ているうちにほとほとTさんのことが嫌になってきたのです。
会社の忘年会の時に事件は起きます。その時は全部で2次会までありました。
二次会時、例のごとく Tさんは 相変わらず軽口を叩いていました。
酒も飲んでいたことにより普段はそこまでひどくないのですが、女子社員に対してセクハラ発言ばかり言っていたのです。
挙句の果てに調子に乗りすぎて女子社員の使用した下着が欲しいと言い出したのです。
さすがにこれには女子社員含め、まわりの社員もあきれました。
Tさん は飲み過ぎてもう自分の事がわからなくなっていましたが、あまりにもひどかったのでその場でTさんを説教したのです 。
この時はこれで終わりましたが、説教されたTさんは私に恨みを抱き復讐することになります。
そして次の週の月曜日にTさんは会社に姿を現しませんでした。
なんと朝から会長の家に行っていたのです。そして私やセクハラ発言を受けた女子社員達の陰口を言っていたのです。
会長もそこまで Tさんを信用していたわけではありませんが、おばかで使いやすい単細胞なTさんは会長にとって利用価値があったので Tさんの言うことを聞いたのです。
それから会長はしばらくの間、私と女子社員達を徹底的にいじめてきたのです。
とにかくしつこいと言うかいい加減にしろよというぐらい、いじめてきたのです。
私もこんな年寄りに負けたくなかったので何が何でも会社をやめませんでしたし、会長にたてつきました。
そうこうしているうちに私と会長に挟まれたTさんは、会社にいづらくなりやめていきます。
こうなってくるとまた変な空気になってきて私も会社に居づらくなりました。
仕事も慣れていたのに辞めたくはなかったのですが、Tさんをやめさせたのが私の責任のような 空気になったのです。
会長からすればTさんが辞めた後私もやめるとなると業務の方に相当支障が出るのでやめさせたくはなかったようですが、私はもうこんなめんどうな会社が嫌になりやめることにしました。
本当に疲れた10年間で、もう二度とこんな思いはしたくありません。
しかし、転職した今となっては、このときの決断は正しかったと考えています。