東北出張


大雪のせいで仕事が終わっての帰宅が、だいぶ遅くなった。家に帰ると既に定年退職した父親が、「昔、こんな大雪の時に東北までよく出張に行ったものだ」と言った。言われてみると、確かにそうであった。
私が小学生の頃、トラックに大きな商品、ランマやテーブルを積み込んで出掛けたものである。子供の時は父親がいったいどんな仕事をしているのか、皆目、見当もつかなかったが、今なら良く分かる。私の父親は当時、訪問販売の仕事をしていたのだ。よくも、まー、そんな営業の仕事をしていたものである。昭和の時代だからこそ出来たのであろう。

訪問先が、なぜ東北だけだったのかは、今でも謎である。もっと他の地域、関西や九州、四国、関東などに行っても良さそうであるが、何故か行っていない。北関東の茨城県や栃木県は東北に行く通り道なので、そこでも販売すれば良さそうなものであるが、何故かしていなかった。

yoruhuyu koutai20160229 22,56

父親の同僚の多くは、ほとんど商品を売ることが出来ず、トラックの荷台に積み込んだ商品を、そのまま載せて会社に帰ってきたという。

それはそうであろう。そんな簡単に売れるものではない。

商品を積んで帰ってくるだけならガソリン代の無駄ではないか。それだけではないと思うが、彼が役員を務める会社は、ほどなくして倒産した。私が高校二年生の時であった。当時の家の中は最悪であった。逃げ出したくてたまらなかったが、高校生の私には行く場所もない。

そんな売れない商品を扱いながらも、父親だけは商品を全て売り切り、代金の回収まで全部を完了させて帰社したという。あまり利口ではない父親であるが「押し」だけはやたらと強い。今でも口論になっても私は勝てない。この男の議論は理屈ではない。ただ一方的に自分の意見を言うだけである。相手が自分の言い分を呑むまで絶対にやめない。
もはや議論、口論ですらないのであるが、ヤツは、そのやり方で売り上げの数字を作り、嫁と子供を養ってきたのである。

息子は私立の大学に自宅からではなく下宿させて通わせた。息子も奨学金を得ていたが、それなりに経済的に酷かったであろう。

これはこれで称賛、感謝するべきことなのかもしれない。自分が役員をしていた会社を潰した後、再就職した会社でも同じく営業の仕事をしたが売り上げの数字はダントツであったという。新規顧客の開拓も凄かったようである。押しの強さだけで、彼は自分の人生を生きてきたのだ。それはそれで何の問題もない。

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